水無月(6月)
水無月の「無」は「の」にあたる連体助詞なので、水無月は「水の月」という意味になります。
田植えが済んで、田に水を張る時期であることに由来します。


~二十四節気~

6日 芒種
旧暦では、芒(のぎ)のある穀物や稲や麦など穂の出る穀物の種をまく季節ということから、芒種と言われています。
梅の実が青から黄色に変わり、次第に梅雨めいて、五月雨(さみだれ)の季節に入ります。

21日 夏至
一年で昼間が最も長く、夜が最も短い日。冬至と比較すると、昼間の時間差は4時間以上もあります。
冬至にはかぼちゃを食べる風習がありますが、夏至は地方によって様々ですが、関西ではこの日にタコを食べる習慣があります。

二見興玉神社「夏至祭」(鳥羽市)
太陽のエネルギーが最も溢れる夏至の日の出と共に禊をする祭典で夫婦岩の前で行います。
古くから二見浦一帯は、伊勢参宮を控えた人々が身を清め、罪穢れを祓うべく、禊祓をされた場所でした。
午前3時半より夏至祭が斎行され、続いて日の出の時刻に合わせて禊行事が行われます。
※夏至の前後1ヶ月だけ、夫婦岩の間から朝日が昇ります。


~伝統行事・風習~

1日 衣替え
季節によって天気や気温が変化する日本では、季節ごとに衣類や持ち物を替えて来ました。特に夏冬の季節の変わり目に衣類を改めることを「衣替え」をいいます。制服などについては、一般に6月1日と10月1日が「衣替え」の日となっています。これは、もともと中国の宮廷で旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を入れ替えていた習慣が始まりで、日本へは平安時代頃に伝わり、室町時代から江戸時代にかけて、四季に合わせて式服を替える習慣が定着しました。当初は、貴族社会だけの習慣で、年に2回夏装束と冬装束に替えるだけでしたが、江戸時代の武家社会では年に4回になり、期間も着るものも以下のようにそれぞれ定められていました。
4月1日から5月4日までが袷(あわせ)という裏地付きの着物を着用
5月5日から8月末までは帷子(かたびら)という裏地なしの単衣仕立ての着物を着用
9月1日から9月8日までの1週間程、また袷を着用
9月9日から3月末までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)を着用
その後、明治維新で新暦が採用されると、夏服は6月1日から9月30日、冬服が10月1日から5月31にちとなりました。

簀戸
簀戸(すど)は、「夏障子」「御簀戸(みすど)」「葦戸(よしど)」「葭障子(よししょうじ)」とも言われ、簾(すだれ)をはめこんだ建具の総称です。簾には、萩・葦・竹ヒゴなどの自然素材を使います。
衣類の衣更えと同様、襖・障子を簀戸に取り換えます。夏の強い日差しを遮り、風通しも良くなり、空間を快適にします。日本人の知恵と伝統が育んだ、古くて新しい建具です。
おかげ横丁では、すし久と団五郎茶屋で簀戸に取り換えます。

11日 入梅
暦の上での梅雨入り。
梅の実が黄色く色づき、梅雨に入る頃を示します。(実際の梅雨入りとは異なります。)
この日から約30日間が梅雨の期間になります。
農家にとっては、田植えの日を決めるうえでも、梅雨の時期を知ることは重要でした。昔は、今のように気象情報が発達していないため、江戸時代、目安として暦の上で入梅を設けたのだと考えられています。

入梅いわし
イワシは昔から安くておいしい庶民の魚の代名詞でした。全国の沿岸から沖合にかけて広範囲に生息し、その種類もマイワシの他にカタクチイワシ、ウルメイワシなどがあります。
特に6~7月の「入梅(梅雨の時期」に水揚げされるマイワシは「入梅いわし」と呼ばれ、1年の中でも最も脂が乗って美味しいといわれています。

30日 夏越しの祓(なごしのはらえ)
夏越しの祓は6月30日に行われます。年にふたつある神事「大祓(おおはらえ)」のうちのひとつで、大祓とは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)を起源とする神事であり、701年には宮中の年中行事として定められていたようです。心身の穢れや厄災を祓い清める儀式であった大祓は、毎年12月31日と、それまでの一年を半分にした6月30日に執り行われていました。大祓は、12月31日の年越(としこし)の祓に対して6月30日を夏越しの祓と呼ばれています。また、夏越しの祓は神社の境内につくられた茅の輪をくぐって罪や穢れを落とすため、「茅の輪くぐり」とも呼ばれています。つまり、夏越しの祓は今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるよう祈る行事です。
茅の輪くぐりは、全国各地の神社で行われており、夜店が出て賑わうところもあり、夏祭りのひとつとして楽しまれたりします。おかげ横丁でも、毎年この時期に開催する「夏まちまつり」において、茅の輪くぐりをしていただけます。

茅の輪くぐりは、日本神話に基づいているといわれています。昔、一人の旅人が現れ、ある兄弟に一夜の宿を乞いました。弟は裕福でもあるにもかかわらず旅人を冷たく断りましたが、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しいながらも手厚く旅人をもてなしました。実はこの旅人はスサノオノミコトで、お礼に蘇民将来へ災厄を祓う茅の輪を授けました。蘇民将来は、スサノオノミコトの教えに従い茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繫栄したということです。この故事に基づき、茅の輪くぐりをしたり、家の玄関に蘇民将来のお札をつけたりするようになりました。

茅の輪のくぐり方
茅の輪とは、茅(ちがや)という草で編んだ輪のことです。茅の輪くぐりのくぐり方は、神社によって異なりますが、神拝詞(となえことば)を唱えながら、8の字に3度くぐり抜けるのが一般的です。もっとも基本的だと思われる茅の輪くぐりのくぐりかたは、以下のようになります。
1周目:正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、左回りで正面に戻る
2周目:正面でお辞儀、右足で茅の輪をまたぎ、右回りで正面に戻る
3周目:正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、左回りで正面に戻る
そして、神拝詞の代表的なものは以下のようなものです。
「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ(はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ)」