神恩感謝 日本太鼓祭 特別対談
山部泰嗣(太鼓奏者) × 玉村和敏(株式会社伊勢福 代表取締役社長)
日本人は、昔から太鼓を打つことで暮らしの息災と豊穣を神様にお祈りしてきました。
1997年に「おかげ横丁 太鼓芸能祭『とことんどんどこ』」と題して始まった太鼓祭は、2003年に「神恩感謝日本太鼓祭」と名前を変え、これを第1回とし、昨年の2021年で19回目を数えました。20年以上の歴史を持つ太鼓祭について、令和2年11月に、太鼓祭を企画・運営しているおかげ横丁(伊勢福)の代表取締役社長に就任した、玉村和敏氏と、本年1月に、神恩感謝日本太鼓祭のプロデューサーに就任した、太鼓奏者の山部泰嗣氏のお二人に、「日本人の心のふるさと、伊勢の地での太鼓祭」の過去と現在、そして未来について語り合っていただきました。
――太鼓祭の存在を知った経緯
山部泰嗣氏(以下、山部) 第3回から出演させていただきました。その当時太鼓祭をプロデュースしていた近藤克次※1さんが、この祭りの出演者探しも含めて全国の様々な太鼓祭やコンクールを視察されていた時に、声をかけて頂きました。16歳?まだ学生だったんじゃないかと思います。それからトータルでチームとして2回、個人で3、4回出させていただいているので、私のプロとしての活動のスタートを後押ししてくれたのがこの太鼓祭なんですけど、当時はまだSNSとか情報がなかったので、この太鼓祭の存在自体は知りませんでしたね。近藤克次さんの事も知らなかったので、声をかけられた時には「誰なんだろう」って感じでした(笑)
※1 1976年に佐渡島の「鬼太鼓座」に入座。「鼓童」創設に参加し1993年に独立後、1997年から2011年まで「神恩感謝日本太鼓祭」の総指揮を務めた。
玉村和敏氏(以下、玉村) 私はグループ会社の赤福に勤めていましたので、おかげ横丁が太鼓祭をやっているというのは、以前から知っていたんですけど、数ある祭のひとつくらいの認識で、内容をしっかり知ったのは、実は一昨年、おかげ横丁へ来てからなんです。初めて観て「太鼓祭ってこんなに凄い祭なんだ」と、恥ずかしながら知ったという感じです。勿体ないことをしていたと思いましたね。
――伊勢神宮のお膝元での太鼓祭
玉村 日本人の心のふるさとである伊勢の地で、日本の伝統文化である太鼓の祭を催すということは、私が思っている以上に、太鼓打ちの皆さんの伊勢に馳せる思いというのは、凄く強いものをお持ちなんだろうと思いますね。
山部 太鼓打ちは、伊勢神宮と太鼓祭を分けて考えるのではなく、奉納演奏ということを今以上に理解して、もっともっとパワーを出していく事が大事だと思います。太鼓界で神恩感謝日本太鼓祭はみんなが出たい祭だと思います。
玉村 それは嬉しいですね。
――初めての祭の印象
山部 私は若かったですから、正直神宮さんに感謝とか、奉納とかっていうよりは、全国から錚々たる太鼓打ちが集まるこの祭に自分が出られる、さぁどう自分を表現できるのか、勝負できるのか!!ということの意識が強かったですね。(笑)
玉村 その太鼓打ちの皆さんの迫力に、私はとにかく圧倒されました。実際そこまで太鼓を身近に感じた事とか、あれだけしっかりと観た事がなかったので。
山部 太鼓を観る機会って少ないと思いますし、あれだけの太鼓チームを一度に観られる事ってないですよね。
玉村 ないですね。こういう事に携わることができるのは凄くありがたい事だと思いましたね。
山部 普通は、一つの舞台で色んなチームが入れ替わり立ち代わり演奏をする訳ですけど、ここは複数の舞台が同時進行していく祭なので、観ている側は自分で選んで、環境を変えながら色々な演奏を楽しむ事が出来る。1日太鼓漬けになれるんです。これはホールのコンサートでは味わえない楽しみ方ですね。
(第三回神恩感謝日本太鼓祭の様子)
――印象深かったこと
山部 全く雨の心配をせずに終わった祭って、一回もなかったんじゃないかな。
玉村 凄い天気の時もあったんでしょ? 中止になるとか。
山部 中止ありました。土曜日だけ出来て日曜日中止だったとか、金曜日の夜から降って土曜日のギリギリまで中止になるかならないかで、結果晴れたとか。途中で降りだしたけど決行とか。
玉村 大雨の中で叩いたとか?
山部 ありましたよ、大雨の中で。舞台は屋根がありますけどお客さんはずぶ濡れで。雨の中でカッパ着て待ってくださっているお客さんがいるのに「止めます」とは言えないですよね。それぐらいの気持ちで観に来てくださるお客さんが、この祭りにはもう居るんだな、凄い事だなと思いました。
玉村 コロナでおかげ横丁の祭や催事が沢山なくなりましたが、そんな中で太鼓祭をやると決めて、どうやったら出来るんだろう、安心安全に開催できる方法って一体何なんだろうと、スタッフのみんなが一生懸命考えてくれて開催する事が出来ました。これはもう感謝しかなかったですね。そこで前回は、その感謝の気持ちを、太鼓打ちの皆さんにも直接、神様に伝えていただきたいと思いまして、出演者全員に神楽殿の御神楽奉納、御垣内の特別参拝※2、参集殿奉納舞台での奉納演奏、そして横丁太鼓櫓での演奏というプログラムをお願いしたんです。これはコロナ禍だったからこそ出来た、例年とは違うプログラムという事で、凄く意味のある太鼓祭になったなと思っています。
※2 通常の参拝では入れない、神様の近く(御垣の内側)で行う特別な参拝。
(第十五回神恩感謝日本太鼓祭は雨天に見舞われ、雨の中の演奏となった)
――他の太鼓祭との違い、強みや魅力
山部 神宮さんじゃないですか(笑)
玉村 (笑)それは間違いないですね。大前提と云いますか、太鼓祭に限らず私どもの商いは神宮さんのおかげですからね。
山部 行政ではなく、伊勢福一社で開催しているというところが、構成やキャスティングに良い意味で主催者の好みというか、こだわりが色濃く出ていると思います。
玉村 私は他の太鼓祭をあまり知りませんが、先程の山部さんのお話にあったように、これだけ多くの太鼓チームを一度に観られる祭は少ないと思うんです。それは、他にはない魅力なのかなと思いますね。
山部 本当に伊勢は、厄介な太鼓打ちを好むというか(笑)でもね、これだけ厄介な人たちが「また伊勢に来たい」と思うのって、何かそこに魅力を感じているからなんだと思います。
玉村 嬉しいですね。一般的な太鼓祭って、太鼓が観たいと思っている太鼓ファンが来るものだと思うんです。だけどおかげ横丁の太鼓祭は、観ているお客様全員が太鼓を観に来たわけではない。その日、たまたま伊勢に来たら太鼓祭をやっていたという人もいる。むしろそういった人の方が多いかもしれない。そういう人が目の前で太鼓を感じて、純粋に「太鼓って凄いな」「このチームかっこいい、何ていうチームなんだろう」って、太鼓の入り口というか、太鼓ファンになってくれるきっかけになるんじゃないか、これは1つの強みというか、魅力になるのかなと思いますね。
――更に盛り上げていくための課題
玉村 これは私どもの問題ですが、情報発信力が弱いと感じています。これだけの祭をやっているわけですから、もっと情報発信をしなければいけない。山部さんからもご提案いただいたSNSなどを使って、広く皆さんに情報を知っていただいて、祭に来てもらいたいですね。
山部 太鼓をやってきた人間からすると、もっと地元のチームが出られる場所があるといいなと思います。子供たちがいいと思うんですよ。近隣の小学校が太鼓祭の前になったら練習をして、伊勢の太鼓祭に出る。それが発表会の様なものになったとしても、それはそれでいいんじゃないかなと。お祭りって上手い人たちの演奏を聴くだけが全てではないと思うんです。そうなる事でお祭りの幅ももっと広がるんじゃないかなと。
玉村 そうですね。地域との繋がりというのは、とても大事な事ですね。
山部 ここまで19回、今年20回を迎えるためには、今までの「あのレベル」を求めてこなければいけなかったと思うんです。ただこれが25回、30回という「これからの道」を考えた時、地元に根ざしたものも考えていくべきなのかなと、これはここまでの19回があるからこそ出来る事なんじゃないかと思います。20数年経つと太鼓打ちの年齢層もあがってきますよね。これからは太鼓を打っている全国の次の世代も興味を持つ、企画とキャスティングを考えていかないといけないと思います。
(第十九回神恩感謝日本太鼓祭で演奏を披露する山部氏)
――時代の変化と共に祭の性質も変わる
山部 時代が変わるように、祭も変わっていかなければいけない。例えばタイムスケジュールも紙のままでいいんだろうか? いま何が一番使いやすくて、どんな層のお客さんが来ているんだろうか? そういったところも変わるべきだと思います。あと、出演者側からすれば、昔はもっとチーム同士の交流があったように思います。
玉村 過去2回はコロナ禍真っ只中にあって、とにかくまずは開催出来て良かったという思いがあるんですが、ただ、すごく一方通行だったなと。それが山部さんの言う交流という部分だと思うんです。これはコロナの中で、運営上の都合や制約もあってある意味仕方のない部分もあったんですが、太鼓打ちの皆さんとお客様との交流という意味では、お客様にとって一方通行の祭になってしまったのかな、と感じるところはありますね。
山部 これがコロナのせいなのか何なのかっていうのは、正直わからないなと思うんですが、何らかの形で交流が生まれてこないと、お祭としては熱量が上がってこないんじゃないかなと思います。
玉村 祭ってそもそもそういうものだと思うんです。交流があるから祭なのであって、一方的に見てもらうものというのは、本来の祭の姿ではないと思います。さっきも言ったように、太鼓祭当日はこの伊勢に色んな人が来ます。その人たちみんなが楽しめる祭。太鼓打ちの皆さんはもちろん、太鼓ファンのお客様、たまたまその日におかげ横丁にいらしたお客様、地域の皆さん、地元の子供たち、そして出来れば我々運営側の人間も(笑)みんなが一緒になって楽しめる祭を、おかげ横丁の太鼓祭にしていきたいと思いますね。
山部 祭って子供の時に親に連れて行かれ、自分の意思で動けるようになった時に友達、彼氏彼女とまた行き、そして自分が親になった時に子供を連れて行く。一人の人間が過ごす時間の中で、気が付くと根付いていったり文化になっていったりするものなんじゃないかなと思います。太鼓がそのための道具の一つとなるのなら、太鼓打ちとしては嬉しいですね。
――これから遣りたいこと、遣らなければならないこと
玉村 過去におはらい町を太鼓巡行していたと聞きました。太鼓打ちの皆さんと、一般のお客様が一緒になって、太鼓を打ちながら山車を引いておはらい町通りを練り歩いていたと。考えただけでも「楽しそうだな」と思いました。是非これは復活させたいと思います。そして今回、プロデューサー山部さんに私が期待していることは、我々ではわからない日本の太鼓界の幅、奥行きをしっかりこの太鼓祭に入れ込んでもらいたい。太鼓という世界がどれだけ広がっているのか、その奥にまだどれだけ可能性があるのか、もっと光を当てられる部分がまだどこかにあるのか。
山部 私は伊勢の太鼓祭を「太鼓の聖地」にしたいんです。「太鼓に関わる人間は、一生に一度は伊勢に集まろうよ」というような祭にしていきたい。今までは伊勢福さんから太鼓チームへ出演依頼をされていたと思うんですけど、それを公募という方法もやってみたいんです。まだ出会っていない全国の太鼓チームに、この祭りに出演出来るんだという事を知って貰いたい。出たい打ちたいというアピールをして貰いたいんです。そしてもうひとつは「大太鼓一人打ちコンテスト」です。これは全国に結構あるんですが、これを伊勢でやってみたい。
玉村 日本太鼓祭の中でコンテストをやるというのは凄く意義がありますね。
山部 このコンテストがきっかけで、全国で演奏するようになったという太鼓打ちが生まれてくるような「いつかあれを獲れば」というようなものにしていきたい。私もコンテストできっかけを頂いた奏者の一人なので。
玉村 こういう話をしていると楽しくなってきます。あんな事もこんな事も出来るんじゃないかと。これを太鼓祭を運営するおかげ横丁のスタッフにも感じて貰いたいと思うんです。例えばスタッフ選抜の太鼓チームをつくるとか。
山部 神恩太鼓※3とはまた別でね。サークルというか。太鼓祭のちょっと前だけでも練習しようよ、みんなで祭を楽しもうよ、というようなことでもいいので、スタッフの皆さんにも楽しんで貰いたいですね。
玉村 私もグループ会社にいながら最近まで太鼓祭の楽しさ、凄さを知らなかったですから、社内を含めて、周りをどんどん巻き込んで楽しいイベントをしていきたいですね。
山部 イベントって、主催者が出す予算の分、何が返ってこないといけないのか? それは、お客さんが凄く喜んでくれた、地元の人も喜んでくれた、伊勢に沢山の太鼓打ちが集まってくれた。この事がお返しになるんだと思うんです。プロデューサーの仕事ってそれを考える事なんだと思っているんです。
※3 1992年、伊勢神宮内宮前おかげ横丁の誕生とともに結成した、おかげ横丁所属の太鼓チーム。
(過去には、おはらい町を太鼓巡行が練り歩いた)
――太鼓祭を通しておかげ横丁が発信すべきこと
山部 「この町を愛しています」ということを、太鼓を通じて発信することなのではないかと思います。神宮さんへの感謝と、町を愛しているということを、太鼓の音が代弁できるような祭になっていけばと。
玉村 おかげ横丁は、日本人が大切にしてきたものや、忘れかけているもの、本物の素晴らしさや価値を発信して、そういったものに出会える機会や、触れていただく場を提供していくことも大切な使命だと思っています。その中で「祭」というのは、地域の繋がりを深くし、人間関係を強くするもので、日本人の心のよりどころだと思うんですよ。この太鼓祭は、太鼓の魅力、素晴らしさを知ってもらうと同時に、日本人が大切にしてきた「祭」ってこういうことなんだ、という事を感じて欲しい。そしてそういった発信をし続けていきたいと思います。
山部 全国の太鼓祭・イベントがどんどん無くなっていく中、神恩感謝日本太鼓祭を続けていただいている。そしてこれからも続けていこうとしてくださっている事に我々太鼓打ちが感謝しないといけない。また太鼓界だけの勝手を言えば、神恩感謝日本太鼓祭を利用させていただいて、もっと太鼓界が活性化していかないといけない。今までの世代からもっと幅や層を広げて、次の世代に繋いでいかなければいけないなと思っています。
玉村 これまでを尊重しながら次の時代に繋げていくためには、新しい風を入れていかなければいけない。その部分を山部さんが一緒になって考えてくれるというのは、我々としても凄く心強いことです。微力ですが少しでも太鼓界のお力になれるように、この太鼓祭を盛り上げていきたいと思っています。
山部 ありがとうございます。感謝します。
玉村 こちらこそありがとうございます。宜しくお願いします。
山部 宜しくお願いします。
(了)