大阪で暮らしていた誓子が何故三重に居を移したのでしょうか? そこには、四日市の俳人、柳生夜来?、杉本幽烏の存在がありました。誓子を俳句の師と仰いでいた二人は彼の病状の悪化を大変心配し、三重での転地療養を勧めます。企画展『誓子と三重をつないだ人々』では、三重に住まいを移したいきさつや、あるぜんちな丸の船旅の出来事、当時誓子に関わった人々や富田、白子での暮らしの様子などを紹介いたしました。直筆の手紙や扁額「白馬海屋」、誓子の写真パネルの展示など、誓子自身が愛してやまなかった海や船の俳句の数々をお楽しみいただきました。
あるぜんちな丸模型
杉本幽烏直筆短冊
今回の展示内容の資料
会場の様子
展示パネル①
展示パネル②
展示パネル③
展示パネル④
2階 展示の様子
誓子と実花写真額
白子時代の写真
幽烏直筆帖
今回の特別展は、御子息下田進様の全面的なご協力をいただき開催することが出来ました。厚く感謝し、御礼申し上げます。
令和元年 山口誓子俳句館